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ハラスメントの地雷原を進むための「新ルール」――。沈黙するより、不器用でも向き合う。

生きづらい世の中だと、吐き捨てるのは簡単です。メッセージの返信ひとつ、何気ない挨拶ひとつ。言葉を発するたびに相手の顔色をうかがい、自らの「加害性」に怯える。そんな張り詰めた空気の中で、私たちはいつの間にか「何も言わないのが、最大のリスクヘッジだ」と思い始めています。

正直、誰とも関わらず、自分だけの殻に閉じこもって静かに過ごしたいと思う日もあります。しかし、沈黙を選び続けることは、本当に自分を守ることになるのでしょうか。この不自由な「地雷原」を立ち止まらず、かつ品格を保って進むために必要なのは、高度な理論ではありません。もっと泥臭く、それでいて温かな「姿勢」の問題だと思うのです。

今回は、分別ある大人がこの時代と誠実に向き合うための「新ルール」をまとめてみました。

「昔の常識」は、もはや骨董品だと割り切る

PCのOSに定期的なアップデートが必要なように、我々の価値観もまた、常に最新の状態に更新し続ける必要があります。古いシステムのまま最新のアプリ(現代の多様な価値観)を動かそうとすれば、必ず深刻なエラーが起きてしまいます。それは悪意の有無に関わらず、構造的な問題なのです。

優位な立場を自覚する「謙虚さ」

たとえ悪気がなくとも、経験を積んだ大人の言葉は、受け手にとって想像以上の重圧(プレッシャー)となります。そのパワーバランスを常に意識の片隅に置いておくこと。

正論という名の武器を収める

正しさは時に、相手の逃げ道を塞ぐ刃になります。「正しいから何を言ってもいい」という傲慢さを捨てる勇気を持ちたいものです。

過去の成功体験を「参考資料」に留める

「昔はこうだった」と言いたくなる気持ちをぐっと堪えましょう。過去の武勇伝は、今の時代においては賞味期限切れの骨董品かもしれません。

「マルハラ」に怯えて貝になる前に、「温度」を添える工夫を

最近話題の「マルハラ(句読点ハラスメント)」。文末の「。」が冷たく感じるという若者の感覚に、戸惑いを隠せない同世代も多いでしょう。しかし、これは単なるわがままではなく、感覚の構造的な違いです。チャットが「会話(瞬発的なコミュニケーション)」である世代と、メールが「手紙(完結した文章)」の延長である世代。そのギャップを理解するだけで、心の余裕が変わります。

文末に「。」を打つのは日本語として正しい。けれど、文字という無機質な媒体では、それだけでは「感情」が欠落してしまいます。大切なのは、文字の冷たさを補う技術です。

私は、絵文字やスタンプを「自分の体温を伝えるためのツール」として使っています。もちろん、過剰に媚びる必要はありません。いつもの文章に、ほんの少し「温度を1度上げる」程度のさじ加減で絵文字を添える。それだけで、言葉の角は驚くほど丸くなり、相手に安心感を与えることができるのです。

沈黙という「拒絶」も、別のハラスメントになり得る

「触らぬ神に祟りなし」と、コミュニケーションを断つことは最も簡単な逃げ道です。しかし、相手を無視し、存在を透明人間のように扱うことは、時として言葉による攻撃以上に残酷な「精神的なネグレクト」になり得ます。

トラブルを恐れるあまりに口を閉ざすのは、相手に対する誠実さの欠如でもあります。「不器用でもいいから、つながりを維持しようとする姿勢」。その泥臭い努力こそが、結果として自分自身を孤立から守り、風通しの良い人間関係を築く土台となります。沈黙という貝殻にこもるより、たとえ噛み合わなくても「言葉のラリー」を続けることの方が、ずっと守備力が高いのです。

完璧を求めず、地雷を踏んだ後の「身のなし方」に賭ける

ここまで偉そうに「新ルール」を語ってきましたが、実を言えば、私も毎日が綱渡りです。このハラスメントの地雷原で、一度も地雷を踏まずに歩き切るなど、ほぼ不可能に近いでしょう。

どれだけ言葉を尽くし、スタンプを駆使しても、相手がどう受け取るかは、究極的にはコントロールできない「相手の自由」だからです。ならば、私は「完璧な自分」を演じることを諦めました。

その代わり、地雷を踏んだ瞬間の「誠実さ」に全神経を集中させます。もし踏んでしまったら、その場ですぐに「今の言い方は配慮が足りなかったね、ごめん」と、プライドを脱ぎ捨てて謝れるかどうか。その潔さと、それを受け入れてもらえる関係性を日頃から築けているか。それこそが、この不自由な地雷原を立ち止まることなく、かつ品格を保って進む安全策だと信じています。

地雷原は「駆け抜ける」のではなく「歩けばいい」

私たちにとって、現代社会は確かに見えない地雷が埋まった困難な場所かもしれません。どこに地雷があるか分からず、足がすくむのも無理はないでしょう。

でも、必死に走り抜ける必要はないのかもしれません。大切なのは、怯えて逃げ出すことではなく、絵文字一つ、挨拶一つに「自分の温度」を込める工夫を惜しまないこと。相手の反応に過敏になる以上に、言葉の先にいる「人」を信じて、誠実に向き合い続けること。

「全力で駆け抜ける」のではなく、「ゆっくりと、丁寧に歩く」。

たとえ不器用でも歩みを止めなければ、いつしか地雷原は、互いの不器用さを許し合える「新しい信頼」の道へと変わっていくはずです。時代に合わせた自分自身の「OSの更新」を楽しみながら、この不自由で、それでいて可能性に満ちた時代を歩いていきましょう。

AO3(あおさん)/ 32mm 管理人

昭和生まれのアラフィフのええおっさん。ガジェット、キャンプ、食をテーマに、大人のこだわりを探求。実体験に基づいた、日々の生活を少しだけアップデートするヒントを発信中です。GR4の抽選販売に申し込みましたが、外れたようです。懲りずにまた次回!